カテゴリ:仕事の回想・自分史( 40 )

 私の恩師は、学生には直接説明することはないのですが、研究と設計など実践はセットだと考えています。研究活動で得られた成果は、現実の地域施設の計画・設計に反映させることが目的の一つ、また自治体などの施設計画への具体的な提言・モデルの背景となる資料です。

 ですから、趣味的な研究のための研究ではないということです。世の中には住宅のデザインや暮らし方を学術的な興味から研究を続けている大学などの先生が沢山います。
 もちろん、それらを否定するつもりは今はありませんが、当時の私は、社会的に寄与しない研究は余り意味のない研究であると公言していました(笑)。

 恩師からは、「貴方は基本的に、貴方を批判した教授と考え方が良く似ている(笑)。だから、口論になったとも言える。」と指摘されました。

 結局、私も名物教授と同じようなことを言っている部分が多く、周りの助手からも、言っていること同じじゃないの?と言われ、思わず我に帰りました(笑)。学術的な価値を重んじているという点も私は同様でした。
 ただ、卒論では、現場から学び、社会的な制度やお上(かみ)の開発に、批判的な態度で向き合ったため、理論武装も自分に有利な材料を沢山集めることに力を注いだのでした。
 今から思うと、冷や汗が出るような論文の文章です(笑)。こんな人物が、会社で旧建設省、公団、都府県・市町村の街づくり、住宅地計画や都市整備のコンサルティング業務を約20年間やっていたわけですから。矛盾のなかに生きていたんです。

 回想の続きです。恩師の研究室に残って2年間研究したことは、千代田区・神田地区の土地利用の変遷と将来の市街地環境整備の可能性に関する基礎研究でした。

 大学院生ではなく、働きながらの研究員でしたが、2年間在籍したということで、2年目の12月には、大学院生の研究発表会で一緒に研究の概要を発表することになりました。指導教授陣の筆頭は、あの教授でした(笑)。
 私の研究発表が終わったあとで、全体の講評や個別の質問・感想などが教授陣からいくつかありました。実に静かな雰囲気の中で淡々と行われました。

 あの教授からは、「君は大規模再開発は嫌いなようだが、君の研究結果からみると、神田地区は、条件がそろえば、一挙に再開発が進む可能性を示していますね?今後、どのような分析を続けるかでも結論が変わりますかね。」とコメントされました。

 私は「ご指摘ありがとうございます。先生の御意見と同様です。私もそう思います。建築基準法の86条の特例規定を適用すると、共同建替えも出てくると思いますし、将来の可能性検討は今後の研究課題にさせてください。」と答えました。先生はうなづいて居られ、表情もとてもにこやかで、少し拍子抜けしました(笑)。このかたは、真面目に学問に取り組む学生には好意的なんだなと思いました。

 恩師からは、「おまえも、大分おとなになったな(笑)」とからかわれました。しかし、残念なことに、上記の研究テーマは続けることはできませんでした。
 民間の都市計画・建築事務所に就職してから、仕事に追われ、研究すら忘れてしまったのです。

 ですが、会社を辞めて、独立開業するに当たり、恩師のように独自の着眼点やオリジナリティを大切にすることを想い出し、試行錯誤や実践的研究を続けました。
 答えは現場にあり、自分の経験の中にある。
(終わり)
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by neo-diy | 2014-03-05 08:58 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)
 たしかに、自分の指導教授の恩師は一人であり、いまも気にかけていただいているのは一人です。

 ですが、「その1」で述べた、発言力の強い「名物教授」も二人目の恩師なのです。この教授は、自分が良く知っている学生であっても、手加減は絶対にしない公正な人物です。
*私は今でも、尊敬しています。
*私が3年生のときの設計担当教授でもあったので、当然、良く知っていました。建築サークルの講演会の講師をお願いしたこともありました。
また、偶然この先生のお母様が私と同郷であり、間接的に知人でした。

 果たして、今の大学に、一学生に真剣に自分の主張をぶつけ、闘おうとする指導者が、どのくらい居るのでしょうか?芯のある熱血教授でした。

 話は、回想の続きに戻ります。私の卒業研究とその他を含めた審議の件ですが、教授会では2つのポイントがありました。
・卒業研究のテーマが「学術的価値に基づいているのか。研究の目的とは何か。」
・発表会で審査された梗概(概要)の本体である卒業論文そのものの内容・完成度です。

 前者は、大きく意見が分かれ、学生の研究に学術的価値のみをもって論じるのはナンセンスという主張。それと名物教授の指摘した学術的価値をベースにした研究が本筋であるという主張です。
 この点は、結論が出ず、審査のポイントを「論文自体の完成度」をもって評価するという意見で一致しました。
 その結果、異を唱えた教授も含めて、私の論文は完成度については一定以上のレベルに到達しており、単位を与えることには問題ないという教授会の結論でした。

 このため、前例がないほど、多くの学生の論文本体が審査され、多くの論文が単位認定から除外されました。完成度が不十分という判定です。
*その年以外は、梗概集の出来と発表内容をもってABCのランク分けをしていたのです。
*私の論文は担当教授の判断でAランクを頂戴しました(笑)。これは大分心情的な加点もあったように思います。
 担当教授としては、自分が納得して進めさせた研究ですから、完成度が到達していれば評価するという御意見でした。

 当時の助手から聞いた話では、恩師(担当教授)と名物教授とが激論となり、教授会は大荒れだったそうです(笑)。
*しかも担当教授は、私の担当時には未だ准教授(当時は助教授と呼ぶ)でした。助教授が教授に向かって真正面から反論することは、当時の教授会では異例だったそうです。

 他の大学なら、単位を没収されることも珍しくないことだったと他の大学の関係者に聞きました。私の恩師は、学内では一目置かれる存在で、将来の学科長・学部長候補と言われていました。信念を曲げない人でした。
 はからずも、学内の卒業研究の在り方について、私の一件が一石を投じることになったのです。

 今だから言えますが、恩師が通知表に評価を入れる直前に、私の目の前で「この評価でいいか?と笑いながら言いました。」私は単位をいただけるなら、なんでも結構ですと答えました(笑)。
 卒業後、私は名物教授の言葉が気になり、別のテーマで研究を続けるため、研究室に2年間残りました。(働きながら、研究室で研究員という名目で過ごしました)
(つづく)
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by neo-diy | 2014-03-03 10:01 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

恩師の想い出(その1)

 大学の恩師は、常に他の専門家がやらない分野に着目して先端を走っていました。

 その一つが、地域施設としての葬祭施設です。昔は迷惑施設として、どこの自治体も建設、誘致することを嫌っていました。

 人生の最後を、おごそかに静かに、あるいは親しみを込めて送り出す場です。これを軽んじていた自治体の取り組み、建築学会の有り様に一石を投じました。
 人が旅立つにふさわしい建築空間を計画し、デザインするだけでなく、海外の事例から学びながら、日本にふさわしい姿を構築しようとした研究と設計の実践です。
 大学を退官されてからも、研究会や海外見学など、相変わらず忙しくされているようです。

 私の在学時は、ご自身の専門テーマを学生に押し付けず、学生の自主性を重んじて接してこられました。学術的な研究を重んじる建築学科内では異端者でもありました。
 既存の権威に臆することなく、探究心をもって道を究めようとする姿です。常に自然体でした。
*私の卒論テーマは「旧江戸城の歴史的水辺環境と再開発問題」でした。もちろん、恩師の研究テーマではありませんが、他に指導できる教授が居なく、お願いして研究室に入れていただきました。

 私は本当に出来の悪い(笑)学生でしたので、かえって印象に残ったんでしょう。毎年の夏にささやかな贈り物を送らせていただいていますが、奥様の過分な気遣いも有り、驚くような倍返しが来ることもあります。

 私は学術的なことは余り学ぶことができず、返す返すも不徳の致すところですが、せめて「物事の捉え方、取り組み姿勢」の一端を学ぶことができたのは、非常に幸運だったと思います。

 また、一緒に食事をする際も、「貴方、食べ物は残すな。絶対に粗末にするな。きれいに食べなさい。」と毎度言われました(笑)。
 この教えも有り、社会に出てから、会食も含めて、出てきたものを残すことはありません。

 それから、不名誉な卒業研究の発表会も忘れることができません。
 私のテーマを約5分間で概要について発表したあと、他の研究室の教授陣から質問やアドバイスが出たのですが、こともあろうに良く知っている某教授と口論になり、質問が10分以上延び、その場で学科長裁定により、私の卒論は「審議」となりました(笑)。

 某教授「あなたの研究テーマの学術的目的はなんですか。」という質問に対し、私「学術的な価値やテーマだけが研究ではないと思います。目的は冒頭に述べました。」と受けたのです。
 さあ、大変です(笑)。自尊心の強い教授に火を付けてしまい、一学生が最も発言力の強い名物教授に喧嘩を売った?ということで、相当もめました。

 私の恩師も「おまえのお陰で、寿命が縮まったわ。でも教授会は任しとけ。」とニヤリとして、研究室をでられ、単位認定の審議の教授会へ向かわれました。
*審議の対象になったのは私だけではなく、質問に満足に回答できなかった学生も含まれています。

 あとで、打ち上げの際に指導教授(恩師)に苦言を頂戴したのですが、あなたが、「ご質問ありがとうございます。テーマの分析も含めて今後の課題とさせてください。」と一言フォローすれば問題にはならなかったと。(笑)
(つづく)
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by neo-diy | 2014-03-01 11:25 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

知人の言葉

 私のメインサイトの面倒を見てくれている知人が昨年、魂のない商いをする取引先が居るとメールで話したら、「丁寧に、誠実に対応することは商いの基本」だと言いました。

 まったく同感です。私の場合は知人とは業態が違うので、サービスの対応の仕方は多少異なりますが、設計のノウハウ以外は隠す必要もないので、依頼者に正直に実情を説明しています。
 誠実に対応するという基本は、知人と同じ考え方です。

 私の先輩の建築士は、安い仕事を依頼しても、その倍以上のサービスを提供してくれます。依頼者が困るだろうと思うことは、仕様書になくても補足してくれます。
*丁寧に誠実に対応するという点で知人と共通しています。

 私が一部の問題の取引先を切り捨てないのは、ある製品がDIY防音の相談者に需要があるので、支持してくれるユーザーが居る限り、取引を続けようとしてきました。
 今後は分かりませんが、私情を抑えて、ユーザーの評価・需要を優先するという対応は基本的に守りたいと思っています。
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by neo-diy | 2014-02-13 08:08 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)
 昨年の秋から、今月まで、相談案件11件に対して誠実に対応した結果、11件のうち、6件正式な御予約をいただきました。
*うち3件がキャンセル(返事がこない)と見なしました。
*2件が保留で連絡まちです。

 実際、5月までに対応できるのは、あと2件程度ですから、この段階で新規の受注を焦っても、現在のスタッフだけでは対応できないでしょう。

 金額の大小は無視して、相談者の誠実さを重んじて対応してきましたので、悔いはありません。

 自分の心に納得できる対応ができたと思います。一年のスタートとしては上出来だと思います。
*不誠実な相談者のことは無視します。

 提携先や取引先に、別途紹介した件も、いくつかありますが、それらは彼らが頑張って努力すれば良いと思います。

 私は自分の身の丈ほどの仕事に専念して、前に進むことにします。

 つい先日、遠方の相談者から業務を依頼されましたので、これで7件確定だと思います。もちろん、これら7件、まだまだ検討すべき作業が残っていますので、これから約6割の防音設計、資材選定など着実に進めていく必要があります。

 とにかく、国立や西国立での防音相談、ウェブページでの地道な対応など、少しずつ実を結んできています。苦手な冬が去り、春になれば、もっと私のエンジンも動くでしょう(笑)。
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by neo-diy | 2014-01-31 09:23 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)
 私が独立開業してからお受けした案件の依頼者に限定すれば、女性の自営業者のほうがリフォームなど資金計画がしっかりしているという印象が強い。

 若い男性は無計画な資金見積りが多く、人様にただで教えてもらうことを期待する傾向が強い。女性のほうがコンサルティングは有料であるという認識が強く、見積りのチェックもしっかりしている印象です。

 最近の女性は、他人に依存するというより、しっかりギブアンドテイクを心がける人が多く、自分のできることを、ちゃんとやり、約束も確実に守る人が多いようです。
 やはり、苦労して生きている分、計画的にシビアに人生を考えていると思います。

 デザイナー、楽器のプロ奏者・教師、PC教室・インストラクターなど、多くの優秀な女性を見てきました。

 一方、若い男性は・・・ほとんどが連絡も途絶え、御礼の言葉すらなく消えて行きました。ものすごく、無料相談ということにこだわり、有料という言葉を一言告げると、一瞬で消えてしまう人が多い(笑)。その多くが自営業でした。
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by neo-diy | 2013-12-24 08:47 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)
 今年も防音相談(国立での無料相談を含む)は残すところ3件となりました。

 1年を振り返ると、今年は誠実な依頼者と不誠実な相談者の両極端に分かれ、いままで開業してから経験したことがないほどすごい状況でした。

 不誠実な人の特徴は、見積りを渡しても返事をしない、提案書を渡すと連絡が途絶える、作業の催促はするが御礼の言葉もない、相談時の飲食のマナーが汚い(おそらく育ちが悪い)、口約束があてにならない、自分で努力しない、などです。

 一方、誠実な人は、とにかく返事が丁寧で、相手を思いやる気遣いが見られるし、必ず約束を守るので安心して仕事ができるという特長がありました。

 さて、残り3件の方々は、どうなるでしょうか。来年の予約状況は非常に厳しいです。とくに、最近、見積りの金額だけで判断する人が多く、無料相談でのこちらの説明を何も聞いていなかったのか?と思えるような件が続きました。
 順番をお待ちいただいている方に申し訳ないです。

 知人に言うのですが、「誠実に頑張っている姿の貴方そのものに値打ちがある」と。
*自分への戒めでもあります。
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by neo-diy | 2013-12-18 08:35 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

連携構築は未だできない

 取引先A社、提携先B社に提示したり、質問などによって、事業展開やモデル的な見解を探りましたが、だめのようです。

 わずかに、アドバイス及び紹介案件の一部について賛同を得ただけで、それ以上は無理のようです。約5年前に描いたヴィジョンは取引先との価値観などの相違が大きく溝は埋まりませんでした。

 小さい事業者は、積極的に連携しないと競合事業者に埋没したり、無益な価格競争に疲弊し、食われてしまうと警告したのですが。
 代表者が両者ともに私よりも年を取るスピードが速く、頭が硬直化しているというか、柔軟性がないということで、連携はあきらめました。

 専属職人チームも個人間の温度差があり、取引先を含めて、ウェブサイトの展開や紹介案件の連携について、バラバラです。これでは、まとめきれない。
 ある職人は、私自身が頑張って受注することだけに期待しているようで、とても連携など視野にないようです。

 こんな小さな事業者、個人事業者がバラバラでは、何をいわんやです。

 B社は、A社には夢がないと言いましたが、私の質問には魂のないピント外れの回答をよこし、失望させました。私が想像する以上に衰えているようです。
 A社の社長は、自社の守りに入り製品開発は止めました。既存の製品を売ることだけを考えているようです。それは結構なんですが、問題は売り方です。

 彼らに欠落しているのは、現場で働く職人との連携、施工技術との整合性。それと相談者と向き合うことです。向き合うというのは、課題とニーズを掴み、製品開発・工法開発などに生かすという意味です。
 ただ、感想や悩みを聞くだけでは何の解決策にもならない。

 このような状況では、新しい提携先でも見つからない限り、構想は実現しないでしょう。私にできることは、自分が確実に遂行できる事業モデルにしぼり、出来る限りの相談業務に応え、着実に歩むことです。
 手取り足取りで、教えても、取引先にやる気がなければ、これ以上は時間の無駄だと見切りました。
 もう実際は、提携先ではなく、単なる一般的な取引先なのです。それはそれで仕方ないので、自分の身の丈の商いを頑張るしかない。
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by neo-diy | 2013-12-16 08:22 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

提携先とホームページ

 現在付き合っている、提携先や取引先の半分は、会社勤め時代に知り合った業者です。

 私が会社を辞めて独立開業してからも取引を継続しています。独立当初、拙いホームページを立ち上げて、業務の案内をしたところ、東京に営業に会いにきてくれたのが業務取引の始まりでした。
*あとで聞いたところ、ホームページに記載された分野は、その当時、伸びていくと判断したそうです。だから自営業でもやれると、提携先は社内で議論したとのこと。

 その後、数年して、その会社の担当者は会社を辞めて独立して新しい会社を作りました。資金もほとんどないので、私が手作りでホームページの形を作り始め、そのあと知人にボランティアで、CMSタイプのホームページに改造を依頼したのです。

 提携先は、将来を見定めてホームページの改造費用を準備しなかったため、改造後の拡充作業をしませんでした。
 最近では、問合せも減ってきたようで、ついに私の提案の一部に着手しようと迷い始めたようです。果たして自分でやれるのか、何をやるのかを、今週の情報交換会で話をすることになりました。

 このCMSは、ブログ機能が組み込まれているので、テーマ別に投稿すれば自動的に更新されます。コンテンツを簡単に追加できるのです。
 そのことを再度、説明することになります。ほとんど通常のブログと同じようなものです。

 提携先は事業資金のストックがないので外注費を出せないと言いました。私は商いを拡充するために、外注費を少しでも準備するように提案しましたが、価値観?考え方の相違なのか。話がかみ合いませんでした。
 私は覚悟を求めるため、外注費を2万円でも3万円でもいいから、誠意を見せてくれと言ったつもりです。少額でも知人や私ならば、やれるだろうと思ったわけです。

 しかたないので、今週の情報交換打合せは、お金をかけないでも、時間をかければやれることを提案するつもりです。
*これが最後の提案でしょう。

 それから、別の取引先は、大手の設計会社廻りを会社の方針として、営業担当に命じたようですが、やはり思うようにはいかないのか、今まで私の提案には食いつかなかったのが、先週になって問題ないので、宜しくお取りはからいください、と返事がきました(笑)。
*紹介案件への営業経費負担の件です。私の紹介に応じて、営業経費の一部を負担しますという返事です。
 これは、長い付き合いの取引先ですから、私のほうから営業努力の成果をお分けしますという、主旨です。私が頂戴する経費の一部は極少額であり、これはウェブサイト運営費用の一部に充当するものとして考えています。
*取引先は商品の利益があり、案件の依頼者には特別割引となり、互いにメリットがあります。

 やっと動き出したのか? いまや私のほうから救いの手を差し伸べるという事態になりましたが、果たしてうまく行くでしょうか。
 私にもわかりません。答えは来年に出るでしょう。
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by neo-diy | 2013-12-08 15:51 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

会社勤め時代の思い出

 都内のある都市計画・建築事務所に勤めていたころ、会社は社長のほか技術スタッフは3名、事務員1名、取締役(外注先)1名が社内的なメンバーだった。

 当初、社長はPCやソフトが得意なスタッフを重用したが、あるクライアントのプロジェクトで失敗し、信用を失った。
 結局は、私がクライアントの人質となり、この課題を1週間以内にクリアしないと、御社への発注に影響するとまで言われた(要するに、発注できませんよ、という脅しである)。
*結果的には、私が期限内に課題をクリアし、大いに信頼されたのだが、これはPCばかりに頼って、基本的な分析を軽視したスタッフの未熟さが招いたことだった。

 また、上記のスタッフはPCができることを自慢し、年長のスタッフを陰で笑うような感じだった。しかし、社長は、上記の失敗から「PCで仕事が余りできなくても、ほかに補う特技や長所があれば仕事はできる。」というようになった。
*しかし、その年長者は、得意分野を見いだせずに会社を辞めたのです。

 もちろん、PCは特技ではなく、PCソフトを使って何ができるか、求められる提案や答えを出すための道具です。ここに勘違いがあることに、社長も後になって気づいたわけです。

 私は、当初は人を見る目のない社長や、勘違いスタッフに不信感を持ち、いずれは会社を辞めて独立したいと強く思ったのでした。
*それが現在の業務に大きな影響を与えました。

 上記の年長者は、私より1年早く会社を辞めましたが、建築士でありながら建築設計の実務経験がないので、転職もできず、まったく無関係な分野に再就職したようです。
*PCが得意なスタッフも、得意な分野がなく、建築とは無関係な職場に、親のコネ?で再就職したと聞きました。

 PCを使うことは特技ではない、便利な道具を使って、何をすべきかが重要です。これが分からない人は独立開業は難しいでしょう。
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by neo-diy | 2013-11-14 17:25 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

ホームページづくり、DIY防音や、知人のウェブページ、雑記※長文や迷惑文章でなければコメントを歓迎します。(東京都在住)


by neo-diy