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予備のサイトを用意する

 最近、考えるところが色々あって、出来る限り自分で修正できるサイトをメインに据えないとだめだなと思いました。

 CMSは非常に便利ですが、自分で完全にひな形やプラグインを調整するには、勉強しないと難しい面があり、自分にとっては、通常のブログやべた打ちのホームページのほうがリスクは少ないと思います。

 もしもですが、知人に手伝ってもらっているサイトに不具合が出た場合、自分で完全に修復できなければ問題があると思います。

 そこで、古いサイトを改造して、メインサイトに連携しながら運営できるように、少しずつひな形を差し替えることにしました。

 二本立てで運営して行ければ安全かな?という気持ちです。今は、イメージ画像や構成などを検討中です。いわゆるコンセプトデザイン、ラフスケッチの段階です。
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by neo-diy | 2014-03-09 11:41 | ウェブページ | Comments(0)

春は近いのか

 この時期は例年だと、三寒四温というより、だんだん春めいて行くはずですが、今月の上旬はかなり寒いですね。
*東京は今日は真冬並みの気温です。

 まだまだインフルエンザも収束していないし、病院に行くのが心配ですが、今日は家族を連れて地元の総合病院の外来に行きます。
*今月から診察システムが変更になり、総合受付で診察カードと予約カードを提出して、外来手続きを行うということです。

 知人の看護師に聞いたら、病院棟の大半を建替えて、敷地全体を周辺の公有地を含めて再開発する計画があるとのことで、何か医療の管理システムのソフトや計画に変更があったのかもしれません。

 この病院は、立派な桜の老木が沢山あり、これらの行方も気になります。今月末にはソメイヨシノがいっせいに咲くはずです。

 来週からは平年並みの気温になるとの予報です。その前に、梅の花が満開になりそうです。そのあと、桃の花が満開になり、桜の開花と重なります。
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by neo-diy | 2014-03-07 09:24 | 暮らしの雑記 | Comments(0)

恩師の想い出(終章)「研究と価値観」

 私の恩師は、学生には直接説明することはないのですが、研究と設計など実践はセットだと考えています。研究活動で得られた成果は、現実の地域施設の計画・設計に反映させることが目的の一つ、また自治体などの施設計画への具体的な提言・モデルの背景となる資料です。

 ですから、趣味的な研究のための研究ではないということです。世の中には住宅のデザインや暮らし方を学術的な興味から研究を続けている大学などの先生が沢山います。
 もちろん、それらを否定するつもりは今はありませんが、当時の私は、社会的に寄与しない研究は余り意味のない研究であると公言していました(笑)。

 恩師からは、「貴方は基本的に、貴方を批判した教授と考え方が良く似ている(笑)。だから、口論になったとも言える。」と指摘されました。

 結局、私も名物教授と同じようなことを言っている部分が多く、周りの助手からも、言っていること同じじゃないの?と言われ、思わず我に帰りました(笑)。学術的な価値を重んじているという点も私は同様でした。
 ただ、卒論では、現場から学び、社会的な制度やお上(かみ)の開発に、批判的な態度で向き合ったため、理論武装も自分に有利な材料を沢山集めることに力を注いだのでした。
 今から思うと、冷や汗が出るような論文の文章です(笑)。こんな人物が、会社で旧建設省、公団、都府県・市町村の街づくり、住宅地計画や都市整備のコンサルティング業務を約20年間やっていたわけですから。矛盾のなかに生きていたんです。

 回想の続きです。恩師の研究室に残って2年間研究したことは、千代田区・神田地区の土地利用の変遷と将来の市街地環境整備の可能性に関する基礎研究でした。

 大学院生ではなく、働きながらの研究員でしたが、2年間在籍したということで、2年目の12月には、大学院生の研究発表会で一緒に研究の概要を発表することになりました。指導教授陣の筆頭は、あの教授でした(笑)。
 私の研究発表が終わったあとで、全体の講評や個別の質問・感想などが教授陣からいくつかありました。実に静かな雰囲気の中で淡々と行われました。

 あの教授からは、「君は大規模再開発は嫌いなようだが、君の研究結果からみると、神田地区は、条件がそろえば、一挙に再開発が進む可能性を示していますね?今後、どのような分析を続けるかでも結論が変わりますかね。」とコメントされました。

 私は「ご指摘ありがとうございます。先生の御意見と同様です。私もそう思います。建築基準法の86条の特例規定を適用すると、共同建替えも出てくると思いますし、将来の可能性検討は今後の研究課題にさせてください。」と答えました。先生はうなづいて居られ、表情もとてもにこやかで、少し拍子抜けしました(笑)。このかたは、真面目に学問に取り組む学生には好意的なんだなと思いました。

 恩師からは、「おまえも、大分おとなになったな(笑)」とからかわれました。しかし、残念なことに、上記の研究テーマは続けることはできませんでした。
 民間の都市計画・建築事務所に就職してから、仕事に追われ、研究すら忘れてしまったのです。

 ですが、会社を辞めて、独立開業するに当たり、恩師のように独自の着眼点やオリジナリティを大切にすることを想い出し、試行錯誤や実践的研究を続けました。
 答えは現場にあり、自分の経験の中にある。
(終わり)
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by neo-diy | 2014-03-05 08:58 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

恩師の想い出(その2)「恩師は二人」

 たしかに、自分の指導教授の恩師は一人であり、いまも気にかけていただいているのは一人です。

 ですが、「その1」で述べた、発言力の強い「名物教授」も二人目の恩師なのです。この教授は、自分が良く知っている学生であっても、手加減は絶対にしない公正な人物です。
*私は今でも、尊敬しています。
*私が3年生のときの設計担当教授でもあったので、当然、良く知っていました。建築サークルの講演会の講師をお願いしたこともありました。
また、偶然この先生のお母様が私と同郷であり、間接的に知人でした。

 果たして、今の大学に、一学生に真剣に自分の主張をぶつけ、闘おうとする指導者が、どのくらい居るのでしょうか?芯のある熱血教授でした。

 話は、回想の続きに戻ります。私の卒業研究とその他を含めた審議の件ですが、教授会では2つのポイントがありました。
・卒業研究のテーマが「学術的価値に基づいているのか。研究の目的とは何か。」
・発表会で審査された梗概(概要)の本体である卒業論文そのものの内容・完成度です。

 前者は、大きく意見が分かれ、学生の研究に学術的価値のみをもって論じるのはナンセンスという主張。それと名物教授の指摘した学術的価値をベースにした研究が本筋であるという主張です。
 この点は、結論が出ず、審査のポイントを「論文自体の完成度」をもって評価するという意見で一致しました。
 その結果、異を唱えた教授も含めて、私の論文は完成度については一定以上のレベルに到達しており、単位を与えることには問題ないという教授会の結論でした。

 このため、前例がないほど、多くの学生の論文本体が審査され、多くの論文が単位認定から除外されました。完成度が不十分という判定です。
*その年以外は、梗概集の出来と発表内容をもってABCのランク分けをしていたのです。
*私の論文は担当教授の判断でAランクを頂戴しました(笑)。これは大分心情的な加点もあったように思います。
 担当教授としては、自分が納得して進めさせた研究ですから、完成度が到達していれば評価するという御意見でした。

 当時の助手から聞いた話では、恩師(担当教授)と名物教授とが激論となり、教授会は大荒れだったそうです(笑)。
*しかも担当教授は、私の担当時には未だ准教授(当時は助教授と呼ぶ)でした。助教授が教授に向かって真正面から反論することは、当時の教授会では異例だったそうです。

 他の大学なら、単位を没収されることも珍しくないことだったと他の大学の関係者に聞きました。私の恩師は、学内では一目置かれる存在で、将来の学科長・学部長候補と言われていました。信念を曲げない人でした。
 はからずも、学内の卒業研究の在り方について、私の一件が一石を投じることになったのです。

 今だから言えますが、恩師が通知表に評価を入れる直前に、私の目の前で「この評価でいいか?と笑いながら言いました。」私は単位をいただけるなら、なんでも結構ですと答えました(笑)。
 卒業後、私は名物教授の言葉が気になり、別のテーマで研究を続けるため、研究室に2年間残りました。(働きながら、研究室で研究員という名目で過ごしました)
(つづく)
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by neo-diy | 2014-03-03 10:01 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

恩師の想い出(その1)

 大学の恩師は、常に他の専門家がやらない分野に着目して先端を走っていました。

 その一つが、地域施設としての葬祭施設です。昔は迷惑施設として、どこの自治体も建設、誘致することを嫌っていました。

 人生の最後を、おごそかに静かに、あるいは親しみを込めて送り出す場です。これを軽んじていた自治体の取り組み、建築学会の有り様に一石を投じました。
 人が旅立つにふさわしい建築空間を計画し、デザインするだけでなく、海外の事例から学びながら、日本にふさわしい姿を構築しようとした研究と設計の実践です。
 大学を退官されてからも、研究会や海外見学など、相変わらず忙しくされているようです。

 私の在学時は、ご自身の専門テーマを学生に押し付けず、学生の自主性を重んじて接してこられました。学術的な研究を重んじる建築学科内では異端者でもありました。
 既存の権威に臆することなく、探究心をもって道を究めようとする姿です。常に自然体でした。
*私の卒論テーマは「旧江戸城の歴史的水辺環境と再開発問題」でした。もちろん、恩師の研究テーマではありませんが、他に指導できる教授が居なく、お願いして研究室に入れていただきました。

 私は本当に出来の悪い(笑)学生でしたので、かえって印象に残ったんでしょう。毎年の夏にささやかな贈り物を送らせていただいていますが、奥様の過分な気遣いも有り、驚くような倍返しが来ることもあります。

 私は学術的なことは余り学ぶことができず、返す返すも不徳の致すところですが、せめて「物事の捉え方、取り組み姿勢」の一端を学ぶことができたのは、非常に幸運だったと思います。

 また、一緒に食事をする際も、「貴方、食べ物は残すな。絶対に粗末にするな。きれいに食べなさい。」と毎度言われました(笑)。
 この教えも有り、社会に出てから、会食も含めて、出てきたものを残すことはありません。

 それから、不名誉な卒業研究の発表会も忘れることができません。
 私のテーマを約5分間で概要について発表したあと、他の研究室の教授陣から質問やアドバイスが出たのですが、こともあろうに良く知っている某教授と口論になり、質問が10分以上延び、その場で学科長裁定により、私の卒論は「審議」となりました(笑)。

 某教授「あなたの研究テーマの学術的目的はなんですか。」という質問に対し、私「学術的な価値やテーマだけが研究ではないと思います。目的は冒頭に述べました。」と受けたのです。
 さあ、大変です(笑)。自尊心の強い教授に火を付けてしまい、一学生が最も発言力の強い名物教授に喧嘩を売った?ということで、相当もめました。

 私の恩師も「おまえのお陰で、寿命が縮まったわ。でも教授会は任しとけ。」とニヤリとして、研究室をでられ、単位認定の審議の教授会へ向かわれました。
*審議の対象になったのは私だけではなく、質問に満足に回答できなかった学生も含まれています。

 あとで、打ち上げの際に指導教授(恩師)に苦言を頂戴したのですが、あなたが、「ご質問ありがとうございます。テーマの分析も含めて今後の課題とさせてください。」と一言フォローすれば問題にはならなかったと。(笑)
(つづく)
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by neo-diy | 2014-03-01 11:25 | 仕事の回想・自分史 | Comments(0)

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